テノチティトラン
アテネ民主政
BC7c
ドラコンの成文法:慣習の成文化
↓
BC6c初期
ソロンの改革
・財産政治(ティモクラシー)
・債務奴隷禁止
・負債の帳消し
↓
BC6c半
ペイシストラトスの僭主制
・中小農民の保護(→平民の力上昇)
↓
BC6c末
・部族制再編(血縁→地縁)
・陶片追放
↓←テミストクレス、海軍増強
↓プラタイアの戦い:ギリシアの勝利決定化
エーゲ海周辺ポリス:デロス同盟結成(盟主:アテネ・・・国内で無産市民の発言力up)
BC5c半、アテネ民主政完成
"ペリクレス時代"
↓民会(成年男性市民の全体集会)発達
cf)
・参政権:成年男性市民のみ
・直接民主政(官職は抽選制(任期1年)、将軍は選挙)
・奴隷制に基づく
ペロポネソス戦争
↓
スパルタ勝利
アテネ:衆愚政治横行
デマゴーゴスによる扇動(クレオンetc.)
ポリス社会
・土地喪失→没落市民発生
・傭兵流行→市民の団結力なくなる
マケドニア
BC333.イッソスの戦い
BC331.アルベラ(ガウガメラ)の戦い
↓
BC330.アケメネス朝滅亡
法の整備
BC5c半、十二表法(慣習法の成文化)
BC367.リキニウス・セクスティウス法
コンスルの1人は平民から選出
公有地の占有制限
BC287.ホルテンシウス法
〜インド〜
マウリヤ朝
アショーカ王
第3回仏典結集←パーリ語でまとめられた
クシャーナ朝
最盛期:カニシカ王
第4回仏典結集←サンスクリット語でまとめられた
3c、衰退
・西部:ササン朝支配下に
・東部:地方勢力台頭→滅亡
グプタ朝
3代、チャンドラグプタ2世(最盛期)
→東晋の僧、法顕が渡印(『仏国記』)
(往)陸路
(帰)海路
6c半、滅亡←エフタル侵入
《古典文化》
サンスクリット語:バラモンが使う言葉
a)グプタ朝:サンスクリット語を公用化
グプタ朝期の仏教
・ナーランダー僧院
・グプタ様式(純インド的)←アジャンター石窟寺院の壁画
義浄(唐):分裂期のインドへ
『南海寄帰内法伝』
往復:海路
南インド:ドラヴィダ系民族が居住
〜タミル語使用
ex)チョーラ朝
→シュリーヴィジャヤ王国と争う
→海の道利用
↓中国(北宋)に商人施設